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 2013/03/25

公務員の父が酔っ払い運転のトラックに撥ねられ、瀕死の重傷で入院。
乳離れをしたばかりの私は、母が父を看病していた半年あまり、叔母に育てられました。
「お父さんが元気になって、ようやく引き取ったのに、夜中に目が覚めるとおばちゃんを探して、泣くんだもの、お母さん本当に悲しかった」
何度か聞いた母の述懐です。

大学生になった後までも、昼寝から覚めて周囲に人が居ないと、軽いパニックになりました、特に夏にこの症状が強かったので、母に尋ねると、預けられたのが夏であったそうです。
ここからは想像ですが、昼寝から覚めたら母が居らず、突然知らない世界に置き去られた幼い私は、耐え難い不安に巻き込まれたのでしょう。
それが、長い間私の中に残っていたのだと思います。

小さい頃から、「子供のくせにどうしてそんなに周囲の人に気を遣うの?」と言われたものです、これも、突然知らない世界に置き去られた幼児の、生存への懸命な努力から生じた性癖だと考えると理解できます。

医学を学び、幼い自分に起こったことを知り、それを分析することでどうにかこのトラウマに打ち勝つことが出来ました。
しかし、この叔母には、他の叔母には全く感じない、母に感じるのと同じような思いをずっと抱いていました。

生まれたばかりの赤ん坊は目の焦点調節が出来ません、ただ一つ良く見える距離は “明視の距離”、そうです赤ちゃんの目に、生まれて初めてはっきり見えるのは、自分を抱いている母親の顔なのです。

お彼岸の墓参り、両親の笑顔と幼い頃に手を引いてくれた母親の手の温もりを思い出しました。

難しい理屈はいりません、お子さんを可愛がって育ててあげて下さい。

理想と現実

 2013/01/18

昨年も本当に多くの患者さんがお見えになりました。
苦しく、辛く、医学の助けで少しでも楽になりたいと、本当に切実な悩みを訴えられました。

抱えていらっしゃる苦しみや悩みは、驚くほど多様で、人としての存在の奥深くに関わっているように思われすが、ある視点から見ると共通項も見えてきます。
今日は、この事について少し述べてみたいと思います。

〈理想と現実〉と言った視点です。

厳しい上司の下で、働く意欲をなくして、会社に行けなくなってしまったAさんには、理解のある上司の下で、気持ちよく働きたいという理想がありました、しかし現実の上司は、恐ろしく厳しいと言う現実があります。
Aさんはこの隔たりの前で立ちすくんでしまったのです。

同期のトップをきって管理職に昇進したBさん、小さい失敗が原因で自信をなくし、自分には管理職の能力が無い、会社に迷惑をかけていると思いこみ落ち込んでしまいました。
管理職になっても失敗なく業務をこなせるという、理想の自分の姿と、失敗をしてしまった現実の自分との狭間に落ち込んでしまいました。

大好きだった彼に振られてしまったCさん、彼に心の底から愛されている幸せな自分の理想と、振られてしまった現実の自分の落差に悩み、何もできなくなってしまいました。

優秀な音楽家のDさん、問題なく弾けるはずのパッセージに詰まってしまってから、指が思うように回らず、練習するのさえ嫌になりました。
一流の音楽家であったはずの自分が犯した間違いに、自分を見失ってしまいました。

人気絶頂の美人女優Eさん、ある日みつけた眼尻の皺に、私なんて何の価値もない女だと思うようになり、外出もできなくなりました。

小学校の頃から秀才の誉れが高かったFさん、天下の難関大学に合格し、同期のトップを走っていましたが、何と戯れに受けた外交官試験に落ちてから、魂が抜けたように感じられていました。

幸福と不幸とは背中合わせ、何時潮目が変わるか判りません。
美人も秀才も上には上があり、下には下がある、他人と比べる事に意味はありません、人は持って生まれた遺伝子に努力を加えて生きていくのです。
良いことに終わりがあるように、悪いことにも終わりがあります。
冬の後には春が来て、夜は必ず終わり朝が来るのです、夜明け前の闇が一番深いと言うではありませんか。

必要な薬を服用して自分を取り戻し、自分がどのような理想と現実のギャップに落ち込んでしまったかが見えれば、病状は良くなっていきます。

私の仕事は、患者さんとお話を重ねることで、患者さんが自らの状態を把握して、どこから落ち込んでしまったのかを理解されるお手伝いに過ぎないのです。

今年が昨年よりも良い年でありますように!

夏と犬たちの物語2

 2012/09/17

短脚で胴長のコーギーに出会ったのは、シカゴのアパートのエレベーターでした、太った小父さんが、「They are father and son !(こいつらは親子なんだ)」と説明してくれました。そのひょうきんな姿に一目惚れ、日本に帰ったら必ず飼おうと心に決めました。

埼玉県のブリーダーに迎えに行ったら、大きくて活発な3色(黒・白・ベージュ)の子犬と、少しチビで2色(白・ベージュ)の子犬がじゃれており、気の弱そうなチビに決めて、名前は勉強が嫌いな怠慢医師-怠慢のため、シカゴで就職できずテキサスの田舎に行きました-の名前をもらいサムとしました、彼は本当に優しく好い奴だったからです。

コーギーのチビほど可愛い生き物は居ないように思います。
何をするのも愛らしく、悪戯ばかりされても、本気で怒ることが出来ません。
まだTVコマーシャルで有名になる前で、散歩をしていたら、ずーっと付けてきた人が、「この犬の種類を教えてください、飼います!」
ビデオ撮影の横を通ったら、助監督に懇願されて特別出演したり、タレント犬にスカウトされたことも何回かありました。
不思議なことに、飼い主と飼い犬は顔が似てくるようで、「お前の犬は、お前にそっくりだ!」と何度も外人に言われものです。
同じコーギーを飼っている方とお友達になったり、彼のおかげで世界が更に広くなりました。

新幹線に乗り、飛行機に乗り、クルーザーで瀬戸内海の島に行き、自由に走り回り、海水浴をし、犬も泊まれるホテルで避暑をしたり。
ドッグフード以外に飼い主の食事を分けてもらうことを当然の権利としていましたが、おなかが弱くけっして太りませんでした。

12歳の誕生日を過ぎたころから、ご飯を残すようになり、さまざまな種類のおかずを乗せても、おかずばかり食べるようになりました。
急性膵炎ということで入院させた動物病院で、薬の過剰投与を受けて死にそうになりました。
「もう駄目でしょうから、お連れになりますか?」と言われて涙ながらに連れ帰りましたが、鳥のササミを眼も開かないのに、1本食べきりました。
よし、必ず治してやる!と全力で治療にあたりました。
当時のお手伝いさんが、「人間だって、こんなに良くしてもらえませんよ!」と感想を漏らすほどで、それから4ヶ月間生き延びて、散歩にも行けるようになり、検査結果は全て正常に戻りましたが、最後は老衰で、13歳になるほんの少し前に亡くなりました。
亡くなる日の朝、1日に2回の流動食を飲ませようとしたら、「もういいです、有難うございました」と目で訴えかけ、その日の午後2時45分、眠るように亡くなりました。
今は深大寺動物霊園に眠っています、何度も唱えたせいか、般若心経を覚えてしまいました。

彼が逝ってしまって、文字通り腑抜けになりました、どちらを向いても彼の思い出ばかり、涙とため息で過ごしていましたが、49日を過ぎて後継ぎを飼うことに決めました。

大震災の少し前に、今度は少し大柄な2色コーギーを福島県のブリーダーさんから、連れ帰りました。
大きいくせに気が弱く、あろうことか雌犬が来ると逃げ出してしまいます。
名前はトム、彼と歩いているとサムが彼の中にいるような気がします。

はいはい、そろそろ夕食と散歩の時間だね、近くの公園までお出かけです。

加齢とうつ病-歳をとるという事

 2012/08/21

紹介で、ある美人女優さんが来院されました、元気がなく、しょんぼりされていますが、それでも眩しいような美人です。
「どうされました、何か嫌なことでも在ったのですか?」
ポロポロと涙をこぼされながら、私の質問に答えられました。
「朝起きて鏡に向かったら、眼尻にしわのあることに気が付きました。お化粧の乗りも悪くて、もーだめだ、お婆さんになってしまったと思ったら、何もしたくなくなりました。小さい頃から、綺麗だね可愛いねと言われて女優になり、一生懸命頑張って来ました。肌に悪い事はしないように、日焼けには何時も注意していました。太ったらいけないから、何時でも少しだけ食べて、空腹も我慢して来ました。でもお婆さんになった私には何の価値もないのです」
泣き顔すらも美しく、本当の美人とはこういうものかと感じ入った次第です。

誰だって歳をとります、可憐な娘役から成長して、素敵な大人の女性を演じるようになり、やがて人妻役、でも何時かはお婆ちゃんを演じることになりますね。
若さは確かに魅力ですが、大人の魅力、良い事も悪い事も全部受け止めて微笑んでいる老人の魅力はまた別のものですよね。

素人の私が言うのも何ですが、演技力を磨いてもっと深みのある芝居が出来るようになったらどうでしょう、外面だけではなく内面を磨く努力もされてみてはどうでしょう?
軽い抗うつ剤と睡眠導入剤をお出しして、経過観察としました。

2週間が経過して、彼女が再度外来に見えました、何とま~美しかったこと、表情がキラキラ輝いています、まさにオーラ全開です。彼女の周囲にだけ別な空気が存在するかのようで、正面に座っていると息苦しさを感じました。

あれから、尊敬する女優さんたちが出ている沢山のDVDを見ました、先生の言われる通りだと思いました。
若さや生まれながらの美しさもありますけれど、確かに年齢を重ねた重みや、演技力からくる魅力というのがあることがわかりました。
私は自分に甘えていたような気がします、頑張ってもう一段上の女優を目指します。
その後の笑顔の凄かったこと、傾城・傾国の美女、古い言葉を思い出しました。

誰でも歳を取ります、それに従って出来なかったことが出来るようになり、逆に出来たことが出来なくなります。
新しいことを身に着けることがだんだん難しくなります、一方で物の見方や考え方が深く多面的になります。
集団に危機が迫った時には、必ず経験を積んだ年配者の意見が求められるではありませんか。

子供の頃には、何曜日の何時には何チャンネルで何の漫画を見るか、努力もぜずに覚えていました。
相互に脈絡がない新しい事柄でも、どんどん記憶できました。
しかし、大人になったらそうは行きません、「何が何して何とやら……」、論理的な流れを作り、そこに当てはめていかないと物事は覚えられません。

若い時には流動的知性が盛んで、歳を取ると結晶的知性が充実してくると言われます。
また、身体的な能力が加齢によって落ちるのは誰でも知っており、誰にでも起こることですが、適当な運動と食事内容で良い状態を保つことは可能です。

出来なくなったことを嘆く必要はありません、誰だってそうなのです。
でも、大人になった今だからこそ、人生経験を積んできたからこそ解る人生の味もあることを再認識しましょう。

人生は筋書きのないドラマ、素敵な老け役を目指して頑張りましょう!

さて、厳しい残暑のなか、今日はどこで昼食をとろうかな?

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